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「平成の怪物」魅了したスパイク 唯一無二の靴、生み出す手仕事 - 毎日新聞

スパイクのパーツをミシンで縫うジャガーズ創工の西岡伸和さん=奈良県三宅町で、塩路佳子撮影
スパイクのパーツをミシンで縫うジャガーズ創工の西岡伸和さん=奈良県三宅町で、塩路佳子撮影

 奈良盆地のほぼ中央に位置する奈良県三宅町は、面積が約4平方キロと日本で2番目に小さい町。革製品の製造が盛んで、特に野球のグラブとスパイクが有名だ。ジャガーズ創工(そうこう)は、裁断から縫製、仕上げまでを手作業で担い、スパイクの履き心地の良さを特長にする。代表の西岡伸和さん(69)は「世界にたった一つの靴を作りたい」と力を込める。

 近鉄但馬駅の南西に広がる住宅街にジャガーズ創工がある。中に入ると、「平成の怪物」と呼ばれた元プロ野球選手の松坂大輔さんと肩を並べる西岡さんの写真が飾られていた。「引退後も注文してくれ、メーカー冥利に尽きる」と西岡さん。野球の日本代表「侍ジャパン」で活躍した稲葉篤紀さんや内川聖一さん、筒香嘉智さん、中田翔さんらも同社のスパイクに魅せられた1人だ。

 革の裁断や縫製、木型を使って形を作る釣り込み、ソールの金具付け――といった工程を妻有子さん(66)、母明子さん(93)と3人で担っている。長年培った指先の感覚を生かして形を微調整し、特に重要な縫製は両足で50パーツほどをミシンで縫っていく。「つなぎ合わせ方によって、つま先やかかとの形がゆがんでしまう。今も毎日が勉強です」

 側面に西岡の英語の頭文字の「N」や曲線、甲の部分のベロにジャガーズの「J」をあしらったデザインなどがある。価格は1足3万円台が主流と高めだが、プロや草野球の愛好家らを幅広く引きつけている。

 1日に仕上げられるのは2~3足が限界だ。大手メーカーが縫い目の少ないスパイクを大量生産する中、「例え機械を買うお金があっても導入はしない。手作りで、唯一無二の1足を作るのが楽しい」と笑う。

 1950年に西岡さんの父博美さん(83年死去)が創業。野球のスパイクや登山靴などを製造販売し、特に革製のスキーブーツが大ヒットしたという。しかし、スキーブーツは安価なプラスチック製に置き換わり、業務の海外委託にも失敗。西岡さんが入社してすぐの75年にいったん倒産した。

 翌年に再出発し、大手メーカーの下請けなどを経て、91年ごろに野球のスパイク作りに立ち返った。町内にいる職人から見よう見まねで技術を体得した西岡さん。しかし、大阪の小売店に靴を持ち込むも「こんなんで売れるか」「どこにもない靴を作れ」と怒られた。「1カ月間、1日7軒ほどを回ったが取り扱いはゼロ。この時の悔しさが糧になった」と振り返る。

丁寧に縫製された野球のスパイク=奈良県三宅町で、塩路佳子撮影
丁寧に縫製された野球のスパイク=奈良県三宅町で、塩路佳子撮影

 どこにもない靴を――。技術を磨きながら思いついたのは、靴の側面に個人名のイニシャルをデザインすることだった。県内では高校球児の保護者から上々の反応を得たが、安さにも敏感な大阪ではすぐには相手にされなかった。

 「東京の方が興味を持ってくれるのでは?」。そんなアドバイスを受け、新幹線代などかさむ経費を気にしながら小売店を回った。イニシャル入りのスパイクへの食い付きは確かに良く、学校名の頭文字をデザインした「オリジナルのチームシューズ」は評判になった。

 昨今の物価高の影響で経営の厳しさは増しているが、客からは「他の靴は履けない」という声も寄せられ、誇りにつながっている。「履いてもらえれば、軽さや動きやすさなど履き心地の良さを感じてもらえるはず」。技を尽くした“1足”を自信を持って、日々送り出す。【塩路佳子】

 奈良県三宅町但馬478。野球のスパイクの他、ゴルフシューズやタウンシューズなども扱う。問い合わせは、メール(japan@jjgr.co.jp)や電話(0745・56・5101)で。ホームページ(https://www.jjgr.co.jp)。

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